日本語を学習し始めるときからよく「日本語はとても曖昧である」という話を聞かされる。『広辞苑』にて「曖昧」の意味を調べると、「確かでないこと。まぎらわしく、はっきりしないこと。」とある。すなわち不明確、不明瞭なもの・ことを指すと考えられる。日本語の学習では日本語の曖昧なところや、同じ単語でもまったく正反対の意味になったりすることがよくある。
译文:从开始学习日语的时候起、常听说日语很暧昧的事。当在《广辞苑》查"暧昧"的意思的时候,译文是“不确实的事情,不清楚,不明确”的意思。就是说,不明确,不明了的事物。对日语的暧昧的学习发现,即使是同样的单词却经常有相反意思的情况发生。
日本語に曖昧さがあるのは、日本人の相手に対する思いやりであるという説もあるが、日本人はできるだけ自分の考えを表したくない、旗色を鮮明にしたくない、それはリスクを増やすだけでチャンスを招くことにはならない、だから引き合わない、でも生きていくためには一応最低限の意志疎通はしなければならない。人々がそう感じ始めた、辺りから要するに何を言いたいのかよく解らない、話し手には責任がなく、伝えるべき意味を聞き手の自己責任で解釈させることを目的とする話法が台頭し始めたのではないだろうかと思っている。それで、日本語は曖昧であるからよくないとか、劣っているとかといった考えになってしまったのでは、正しい日本語の勉強はできないと思う。曖昧さや婉曲を好むという日本人の性向が日本人の根本に根ざしているものだとよく理解しなければいけないと思う。
译文:日语的暧昧程度,有看人下菜碟的说法。日本人会尽量不旗色鲜明的表达自己的想法,这样就不会增加自己邀请别人的风险,关系也就不会太接近了。但为了生存下去,无论怎样也要做一下沟通的表面功夫。周围对人们开始感到说不好懂的说话人没有责任,并且以让转告者背负责任解释说明应该转告的意思为目的叙述法还没有开始抬头吧。所以,想到日语的暧昧的坏处,不好的地方,就会感到无法学到正确的日语。无奈只有理解爱好含糊以及婉转的日本人根本的本性了。